もう二度とこんな思いはしたくない。
時間は無常にも過ぎて、戻せる時間など存在するはずもなく。
戻ることは出来ないから進むしかなくて、そうして日々はまた過ぎてゆく。

何故知ってしまったのか。そう考えてもその答えが出るはずもなく。
知りたくはなかったけど、知らない方が良かったなんて事はなくて。
何も知らずに安穏と過ごす道化師にはなりたくなくて。それでも感情は追いつかず。
漠然と感じていたにも関わらず、事実はあまりにも残酷で。

今だから言えることも確かにあって、それでもその時はそんな気はなく。
あの頃は新たな自分の居場所が欲しくて、与えてくれる人は貴重で裏切りだけはしたくなくて。
だからこそ出来る他人との距離感は存在して、それでもその時はそこが自分のポジションで。
異性は容易に恋愛対象にはならず、同姓も容易には友人対象にはならず。
それでも対象になる人は少なからず存在して、それでも溺れるわけにはいかず。
失ってはじめて築ける関係もあって、誰かの付属としてでなく一個人として自分を扱って欲しくて。

人を好きになるのは案外難しく、そして簡単で。
一度好きになったら大切で、そんな人を早々嫌いになれるわけもなく。
思考は日々変化していくもので、一歩踏み出せば視界は少しずつ広がるけど視野は狭くなって。
一つ失ったらそれに伴って消えていく思いも存在するけど、残したい思いもたくさんあって。
会わなくても永遠に記憶から消えない人もいて。ソレは好きな人だったり嫌いな人だったり様々で。

二度と会えないと思ったら無性に会いたくなって。連絡する手段はあるようでなくて。
ただただ偶然だけを祈った日々は今から考えると短くて、それでもあの頃は永遠にも等しく感じて。
今までケジメとして取ってきた距離が遠くて、ワンクッション置いた関係はあまりにも切なくて。
連絡手段を手に入れてなお自分からは連絡する勇気はなく、その距離感が痛くて痛くて。
次に会ったら言いたいこともたくさんあって、そのときに初めて自分を知ってもらえる気がして。
そこから新たな関係が築けるかは未知数で、距離を埋めるのも広げるのも自分次第。
誰かの何かではなく、代名詞ではなく、きちんとした名前で呼んで欲しくて、私自身を見て欲しくて。

考え方が変わった自分を実感はするけど、それに至るまでの行程は確かにあるわけで。
昔の自分はあまりにも幼くて、あの頃より成長した自分はいるけど、それでもなお幼くて。
その日々が今の私を形作ったことは紛れもない事実で、その日々がどんなに苦しくても過去とは呼びたくなくて。
思い出にしたくて、そう思うのはきれいごとで。きれいごとではどうしようもないこともあって。

ソレでも日々は続いていくから。ココに書いたのは一種の後悔。思い出にするための過去。


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