心の闇は日ごと夜毎に襲いかかり私を暗闇と混沌へと叩き落す。
思考はマイナスになり、どうでもいい事が気にかかり、すべてが絶望に思える時。
解決するのは時間のみで、戦う術は持たない。
後で考えると何故悩んでいたのかすら不思議に思える事が「現在」では常に暗い影が差す。

「考える」という行為は常に悩みが伴い、悩まずに済むのはそれだけ考えがはっきりしているから。
言葉が漠然としているのと同様に思考も常に漠然としていて、さっき考えていたことすら今となっては思い出せない。
一度言ってしまった言葉がのどに戻ることはなく、吐いた暴言を取り戻す術を探し続ける思考。
ありえもしない想像に思いを馳せ、するつもりのない和解の言葉を投げかける自分。
そうして訪れるのは新たな決別。
思考の中ですら自分自身を傷つけ、新たな後悔が生まれる。

大切という想いはなんて脆いのだろうか。
あの時、あの瞬間まで、私は確かに大切だと思っていた。想っていたはずだ。
今となってはアノ頃の自分の考えは他人の思考と大差ない。
自分が何をしたかったのすら分からず、今更ながらに他の道を模索する。
あの出来事は既に終わったことで、思い出にするには笑い話にするしかなく、心の中では永遠に消えない傷。
同じことをまた繰り返しそうで、繰り返したくはなくて、他人といると常に不安が伴う。

不安定でない人なんていなくて、他人はいつも危なっかしくて、支えたくて、出来なくて、心配するしかなくて。
掛ける言葉が起こす効果は自分では分からず、想いが届いたと思えることはない。
些細な一言がとても嬉しくて、その思いを伝えたくて、伝わらなくて。
干渉しない関係は心地よく、それでもそれが時に寂しく、切ない。
気の向くままに連絡を取り、気の向くままに過ごす日々。他人の現実は私にとっての幻想でしかなく交わるときはない。

泣かれることに弱く、慰めたくても言葉は陳腐で、気の利いたセリフなんて浮かばなくて。
喜ばれることに弱く、だましているつもりは無くても偽ってる気がしてきて。
不満がないなんて現状はあるはずがなくて、何処かに「しこり」は残るもので。
私に見えるのは「しこり」ばかりで、いらないことまで悩んで、悩むだけ悩んだら少しだけ気分が軽くなって。
軽くなったら次の重さが押し寄せてきて、軽さが一定量をきることはなく重さに上限はない。

今の想いを大切にしたくて、変化してほしくはなくて、それでも常に変化するもので。
どう変化していくかなんて分かるわけもなくて、伴うのは不安。
自分で分からないことが他人に分かってもらえるわけはなく、分かってもらおうと思うことすら放棄して。
それでもこの文章を書く自分は矛盾していて。
自分が何をしたいかなんて知るわけもなくほっといて欲しいのと気づいて欲しい感情は隣り合わせで。
そんな自分を分かりつつも理解する気なんてなくて。

それでも書いたこの文章はきっと一種の懺悔。不安定な自分を認めてくれる人たちへの懺悔。


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