他人に取ってはたいした意味はなく、だけど私にとってはとても重要な問題。
答えが見つかっていないわけでもなく、どうすればいいか分からないわけでもなく、それでも身動きが取れない現状。
傍から見たらそれはきっと贅沢な悩みで、でも私にはとても深刻で…。

悩みは常に答えと共にあり、答えが分かりながらも相談するのはきっと誰かに背中を押してほしいからで。
答えを知らずに相談するのはきっと依存でそんな関係はいらなくて…。
自分を評価するのは傲慢で、でも分析せずにはいられなくて、そして分析して出た答えはきっと不正解。
自分で自覚している限りそれは性格ではなくて、自覚していない症状こそが本当の自分。
人間不信だと言う私はきっと人間不信ではなくて、男嫌いだと言う私はきっと男嫌いではないのだろう。
女は恐いという私自身が一番恐ろしく打算的で。
自覚症状があるときっと厄介で、気付いていてなお直す気がないのは確信犯で、不安定なのは信用していないから。
他人を信用することは非常に困難で、信じることの出来る人はとても大切で、守りたくて、でも守れなくて。
支えると言う言葉の傲慢さを知り、何も出来ない自分の無力さを呪う。
甘えたいと言う願望とは裏腹に甘やかすことに慣れ、甘えてくれることが嬉しく本来の望みさえ薄れる。

心から流す涙はきっとキレイで、そのキレイさを守りたくて、そう思うことがすでに汚すことで。
涙を流せない私は臆病で、人に弱みを見せないこと自体が弱さで、強さは自分では微塵も感じられることはない。
大切だと思われることに不慣れで、でも思われたいと言う願望がないわけではなく。
愛しさと切なさは常に同意語で、切なさと不安は常に共にあり、不安は信用の反意語で。
好きだと言う気持ちと信用は常に共にあるとは限らず時に疑心暗鬼で混沌とする。

独りにはなりたくなくて、でも一人の時間も欲しくて。
孤独じゃないと思いたくて、そう考える自分は孤独で。
温もりが欲しくて、欲しい温もりが常に近くにはなく、探すことが悲しさで見つけるのは喜び。
明日なんていらなくて、今が精一杯で、それでも夢は見ずにはいられなくて。

そんな不安定な感情があって、先が見えなくて、それでも進むしかなくて。
どうにかなってきたのは奇跡としか言えなくて、これからも奇跡が続くとは思えなくて。
変えていくのは自分自身で変えられないのも自分自身。そんな自分が好きで、嫌いで、分からなくて、曖昧で。

それでもやっていくから。ここに書いたのはきっと弱音。人に聞いてもらうための弱音。


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