「この世には男と女しかいないんだから仲良くしなくてどうする?」

これは私の小学校時代の担任の先生の言葉だった。
男は男同士、女は女同士という考えの私達に向けて先生が言った言葉。
私にはとても印象に残る言葉だった。
性格が男勝りで女子と仲良くはしていたものの、何か違うモノを感じていた私にとってソノ言葉は自分の視野を広げるきっかけになった。

私には、友達と呼べる人が幾人かいる。ソノ中には当然のように男女両方が存在する。
今の学校でも男比率がすごく高いので、女といるよりも男といる方が多い。
不思議なモノで、同性だと話が合わなければやっていけないのに、異性だと話が合わなくても一緒にいられるのだ。
そういう光景が傍からは「男好き」だと言われることは多々ある。
しかし、自分が一緒にいたいと思う人が異性だっただけで何故そのように言われるのだろうか?
いわれのない中傷を受けた時、必ず思い浮かぶのは冒頭の先生の言葉だ。
周りに気遣って自分の視野を狭くすることはない。そう思うことで傷ついたという事実を消し去るのだ。
中傷する同性よりも仲のいい異性といた方が楽なのは言うまでもないだろう。

小学校の頃からずっと仲のいい男友達がいる。
どれだけ遠く離れようと連絡先を変えようと必ず連絡を取り合う友人が…。
進路相談を受けた事も恋愛相談を受けた事もある。「男女を越えた友情」と言う言葉が彼といると現実のモノとなる気がする。

友達になっていることを前提とするならば、私は女友達には何も求めない。
でも、男友達に求めるモノは二つだけある。

一つ、私を異性だと認識すること
一つ、私を異性だと意識しないこと

この二つだけは確実に守ってもらいたいと思う。
性別を認識せずに接しられても困るし、逆に異性だと意識されても困るのだ。
求めるモノと言うよりも友達でい続けるために必要なことだろう。
実際に、私の友人達はそういう態度で接してくれている。本人達は意識してやっている事ではないと思うがソレが逆に嬉しいのだ。

何故、人は自分と違うだけで排他的になるのだろうか?
何故、分かろうと認めようとしないのだろうか?

性別と言うのはそれほど重要なモノなのだろうか。
恋愛をする上では大切なのかもしれない。しかしゲイやバイ、レズといった人も存在する。
でも、友達になる上で性別を見る必要性が何処にあるのだろうか?
仲良くなりにくい感は否めないかもしれない。
しかし、一旦仲良くなってしまえばその事実を変える必要があるのだろうか?
性別一つで仲良さのレッテルを貼る必要はないだろう。

この世には様々な人間がいる。男と気の合う女もいれば女と気の合う男もいるのだ。
周りを気にするのではない。自分が誰といたいのか。
ソレさえはっきりしていれば性別など些細な問題だ。
周りがなんと言おうと自分の意思を貫く強さ。大げさかもしれないが男女間の友情にはソレが必要なのかもしれない…。


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